大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和家庭裁判所 昭和33年(家)10号 審判 1958年10月24日

住所 東京都

申立人 ユーモンド・エフ・ミノーリー(仮名)

住所 北海道

相手方 八田芳江(仮名)

……当裁判所は日本国法例第二〇条北亜米利加合衆国法例日本国法例第二九条家事審判法第九条乙類七号によつて次の通り審判する。

主文

申立人と相手方間の子であるメリーラー(昭和二十五年十二月○○日生)デールエット(昭和二十八年二月○日生)及びアレン(昭和二十九年一月○○日生)の親権者を父である申立人と定める。

理由

本件申立の要旨は、申立人と相手方は昭和二十五年始め頃から同棲し同年十二月○○日その間にメリーラーが出生しその後昭和二十六年二月婚姻して申立人の郷里である北亜米利加合衆国シカゴ市において家庭をもつたがその後昭和二十八年二月○日デールエット及び昭和二十九年一月○○日アレンが出生した。ところが相手方は昭和二十九年四月三子を伴れて日本に帰つてしまい、将来婚姻を継続する意思も見込みもなかつたので、申立人はシカゴにおいて相手方に対し離婚の訴を提起した結果、イリノイ州クツク郡巡回裁判所において昭和三十年三月七日離婚の判決がなされ右判決は確定した。しかし、右判決においては、当時申立人と相手方間の三子が相手方と共に日本に居住していたため申立人が相手方に三子の養育費として毎月五十弗の仕送りをすることが定められただけで三子の監督者については何等の定めもされなかつた。その後申立人は判決の命ずるところに従つて養育費の仕送りを続けてきたが相手方からの音信が絶えたので三子の安否を気づかつていたところ昭和三十二年始め頃浦和児童相談所からデールエットは相手方が置き去りにしたため児童保護施設に収容され、メリーラーとアレンは申立外の平田美佐子に引取られている旨の通知をうけたので大いに驚いて直ちに三子を引きとるために日本に渡来しデールを直ちに施設から引きとつたがメリーラーとアレンは平田美佐予が容易に引渡してくれないので浦和家庭裁判所に子の引渡の調停申立をした結果二十四万円の養育費を同人に支払うことによつて話がまとまり、現在三子は申立人においてこれを監護している次第である。さようなわけで三子のために親権者の指定の申立をするわけであるが、一方母である相手方は三子を現実に監護する能力も資力も乏しく現にデールを保護施設に託し、メリーラーとアレンを飲食店を営む者に預けて自分は転々として住所をかえて安定した生活を営むことができない者であり三子の監護を委ねるに足りないものであり、他方申立人は目下アメリカ空軍の軍人であり三子を養育するに十分な資力を有し肩書住所で三子を養育している実情である。以上の事情からして三子の親権者を父である申立人と定めることの審判を求めるものである、というのであつて、申立人提出の甲第一号証(クツク郡巡回裁判所判事の判決)第二号証(相手方の書翰)第三号証の一、二(相手方の書翰)第四号証(出生証明書)の各記載、取寄に係る浦和地方裁判所昭和三二年(ワ)第二〇四号子の引渡請求事件中の横浜市西区長作成の戸籍謄本、ジェームス・ジェイ・ブランチ作成の出生証明書の記載及び証人米田佐多子の証言並びに申立人本人審問の結果を綜合すれば申立人の主張する事実を認めることができる。そして右の事実からすれば申立人と相手方間の三子の親権者を父である申立人と定める旨の審判をするのが相当である。よつて主文の通り審判する。

(家事審判官 岡岩雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例